日々のエッセイ

”不思議なコチョコチョ”と信じる心

 

私が持ったならひざ下しか見えなくなってしまうような、大きなリュックを背おった息子が、中書島駅の階段を一歩一歩グイグイと登って行った。バックミラーで見えなくなるまで見とどけ、「どうか無事に帰って来てや」と念じながら、車を出した。

 

11月22日早朝、副住職である息子の1ヶ月間のインド放浪の旅のスタートでした。

その日の私は、せんたくものを干しても悲しく、そうじをしても悲しく、食事の準備をしても涙がこみ上げ、会話も弾まず、もちろん食欲など全くなく、テレビも見たくなく、湯船につかっても涙がつたい……。まるで息子を戦地に送り出した母のような気持ちでした。

自分でもこれは異常や!こんなの1ヶ月続いたら、いくらふくよかな私でもガリガリになって、倒れてしまう!もう早く寝るしかない!といつもより早めに布団に入りました。

案外早く寝つけたらしく、すぐにその出来事が起こりました。寝てる私の右腕を誰かが、しっかりと抱え込んだのです。

私はとてもびっくりして、「誰!? 誰!?」と叫びました。すると、すぐに抱え込まれて、動けなくなった右脇腹をすごい勢いでくすぐられます。

「やめてーーくすぐったい!やめてーーくすぐったい!」

必死で言っているのに、そのコチョコチョは続きます。もう耐えられないくらい、くすぐったくて、苦しいんだけどケラケラ笑っていました。

サーッとコチョコチョがなくなり。私は平常に戻りました。布団の中でジーとしながら、「今のは何だったんだろう?」「腕を掴んだのは誰だったのか?」「コチョコチョしたのは誰?」・・・。

腕の感触、コチョコチョの余韻を感じながら、ふとひらめきました。

「なんや〜私の父と母やん!!」確実にそうなのです。

なぜかというと、私は今までの人生の中で両親にしか、コチョコチョされたことがないからです。私にコチョコチョなんかするのは両親しかいないのです。

 

思い返せば、子供の頃、言うことをきかないとき、よくコチョコチョされました。

母親が「そろそろ散髪に行きなさいヨ」と言う。私は「髪伸ばして、みつあみするから絶対切らん!!」「前髪だけ切ってあげよう!」と母。「いや、どこも切らん」と私。

すると母が「言うこときかんとコチョコチョや」と私の両腕を取って動けなくする。そこで父親がコチョコチョ〜と言いながら寄って来て、母とタッグを組んでコチョコチョするのです。

私は苦しみながらケラケラ笑い、前髪を切る約束をさせられるのでした。私の家は自営業だったので、だいたいは両親そろっていつも家にいました。

こんな日もありました。「今日は寒いからスカートはいたらアカン!ズボンにしなさい」と母。私は「みほちゃんと今日からスカートはく約束したから、スカートはく」と言い張る。するとコチョコチョで攻められ、笑い疲れ、ズボンはくと言わされるのです。

そんなことが頭の中にスーと浮かびました。

だからまちがいないのです。腕を掴んだのは母。コチョコチョしたのは父。

もう母も父も早くに亡くなっているので、そう確信したときは、少し怖い? いや、不思議な気持ちでした。布団の中で「来てくれたん?私がさみしいから。」と言っておきました。

 

朝になりました。私は昨日がウソのように元気です。笑えます。たべれます。おしゃべりできます。昨日のセンチメンタルな私は消え、いつもの自分でした。

毎日連絡をいれると言うていた息子からの連絡がないときでも、住職(夫)はイライラ心配していましたが、私はなぜか冷静で、「電波の届かない場所でいるのだろうー」とか思えました。(実際そうでした。)息子が帰るまでの1ヶ月間、無事、健康な心身で過ごすことができました。

 

一晩寝ただけで、どうして私は立ち直れたのでしょう? 自分でも不思議ですが、安心感が私を包んでくれた、それが一番大きいと思います。父と母が守ってくれる。瑞規(インドに旅立った息子)のこと守ってくれている。心配はいらないと。不思議なコチョコチョが父と母の存在を、私に知らせてくれたのでした。

私は何の親孝行もできないうちに両親を亡くしているので、夜寝る前には必ず南無阿弥陀仏と唱えて、父と母のことを阿弥陀さまにお願いしています。父と母は阿弥陀さまの、み光の当たる場所に居させて頂いていると信じています。

あの不思議なコチョコチョは、ある人からすれば、単なる夢、金縛り(?)と思うかもしれません。でも、日頃から阿弥陀さまのみ光を信じ、両親のことを思っていたからこそ、私はあのコチョコチョで両親を感じ、安心感を得、心配がなくなり、健康な1ヶ月が送れたのです。

もし信じていなければ、単なるくすぐったい夢(もしくは悪夢?)で終わり、翌日も悲しみをひきずったまま、それは1ヶ月間続いていたことでしょう。携帯電話の向こうの息子に反対に心配をかけていたかもしれません。

「信じる者は救われる」という言葉ありますが、まさにそれを実感しました。

 

信仰心のある人、ない人、それぞれ良いとか悪いとかは私にはわかりませんが、素直に信じる心のある人の方がこの世の中を前向きに行きてゆけることは確かだと思います。

自分の力だけではどうしようもないこと、この世の中にはたくさんあります。頑張りすぎず、自分の頼りたい信じたいものに身を委ねることは逃げているのではなく、強く生きられる一つの方法なのではないでしょうか?

私はあの不思議なコチョコチョで、自分の中にある信仰心に気づきました。

皆さんは何か信じているものありますか?

 


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